建築年:1955年(昭和30年)
設 計:坂本鹿名夫
構 造:不詳
所在地:鳥取県倉吉市鍛冶屋町1-2971-2
備 考:
撮 影:2013年10月
倉吉市にある旧明倫小学校円形校舎は、昭和30〜40年代に全国で100棟以上もの円形校舎を設計した坂本鹿名夫(さかもとかなお)という建築家の実質二作目の作品(小学校としては全国初)で、現在 日本で最も古い円形校舎です。
(引用 旧明倫小学校円形校舎の保存活用を望む会HPより)
設 計:坂本鹿名夫
構 造:不詳
所在地:鳥取県倉吉市鍛冶屋町1-2971-2
備 考:
撮 影:2013年10月
倉吉市にある旧明倫小学校円形校舎は、昭和30〜40年代に全国で100棟以上もの円形校舎を設計した坂本鹿名夫(さかもとかなお)という建築家の実質二作目の作品(小学校としては全国初)で、現在 日本で最も古い円形校舎です。
(引用 旧明倫小学校円形校舎の保存活用を望む会HPより)
設計家 坂本鹿名夫氏について(ウィキペディア抜粋)
大成建設の設計技師だった坂本は1947年頃、上司の代理として文部省の委員会に出席するようになった。やがて臨時委員の資格で正規メンバーとなり、基本設計・断面詳細などの設計に関わる。作業が西戸山小学校の実施設計まで来たとき、廊下側間仕切りの検討をめぐって委員が私案を持ち寄ることになった。ここで坂本は、正円の校舎2棟を矩形平面の雨天体操場で連結した案を出すが、奇抜に過ぎるとして委員会で顧みられることはなかった。1952年、私立金城高等学校(現・遊子館高等学校)で西戸山小学校と同じ円形校舎2棟を雨天体操場で繋ぐ案を提案するが、実現したのは円形校舎1棟のみだった。そのため、坂本自身は次作の私立山崎学園富士見中・高等学校(1954年)を実質的な第1作としている。
1954年、坂本は独立し建築綜合計画研究所を設立する。独立後、坂本は多数の円形建築を設計した。1959年にまとめた作品集『円形建築』で主要作品としてあげられているものに限っても、1954年に2件だったものが、1955年には14件(うち校舎10)、1956年には13件(うち校舎11件)、1957年には26件(うち校舎15件)、1958年には18件(うち校舎15)と増えている。これらのうちの少なからずが公立学校だった。坂本自身は自ら手がけた円形校舎は、1959年の半ばで100以上と書いている。
追加記入 2021年5月 2018年4月7日より円形劇場くらよしフィギュアミュージアムとして有効活用される。
DOKOMOMOJAPAN2018年(2017年度)に追加選定される
〒682-0864,+1丁目-2971-2+鍛冶町+倉吉市+鳥取県
住所間違っていましたので訂正させてもらいましたご連絡いただきありがとうございます。今後もよろしくお願いします。